ゲタバコ.

下駄箱とは、靴などの履物を収納するための家具。 銭湯など大衆が集う場所では「下足番」と呼ばれる履物の管理人を置くことがある。 ゲタバコとは、映画などのコンテンツを紹介するためのサイト。 インターネット上など大衆が集う場所で「下足番」と呼ばれるブログの管理人が置かれている。

ファンキー加藤が度々しゃべっていた「認知」の意味を調べてみた

www.hochi.co.jp

ファンキー加藤がW不倫と。

なんでこういうニュースが最近ダムの堰を切ったように溢れ出てくるんですかね。

ゲスのときはエビデンスがLINEだったし、センテンススプリングはじめ、出版社各社がソース源として情報通信を本気で活用し始めたのしょうか。

そもそもLINEとかのデータってLINE社は見れるのだろうか。

普通に社内ツールとかで使っている会社もあるけどその情報セキュリティとかって大丈夫なのかなとか思いますよね。

 

今回したい話はそのことではなくて。

ファンキー加藤が話している「認知」という言葉について。

商品の広報戦略とかでよく使いますよね。消費者に商品の認知のために広告を打つとか。

 

でも今回の「認知」の使い方はそれではなさそう。

でも当たり前に使ってたから。

人生経験が豊富な方々には「あー、認知ねー」ってなるのでしょうか。

ぼくはまだちょっとわからないので、認知について調べてみました。

 

教えてグーグル先生!Wiki教授!!

 

SE:てレレレってレーン

 

「認知」

社会学での認知[編集]

  • 社会学において、認知とは意識と同義に用いられる場面もあれば、親子関係のうち、父子関係において、生殖上の意味での父が不明な子を、懐胎した母の夫が「認知」すること(社会学的な意味での父と宣言すること)が、社会が子をその一員として公認することの条件である(「嫡出の原理」)と説明されることもある[1]

 

なるほど。社会学的な意味での「認知」なんですね。

 

つまり柴田の元妻に授かった子供を自分の子供だとファンキー加藤が認めたということなんですね。

なるほど。そういう使い方をするのか。

 

でもなんか他に言い方なかったんですかね。

認知ってなんかピンとこないんだよなー

 

子供を授かった時は「デキた」とか「授かった」とか言うのに。

「認知」て。超固くないですか?

 

子供はモノじゃないのに「子作り」は一般用語で使ってるし。

まだ生まれてきていない命に対して日本語の倫理観がよくわかんないですね。

だったらiPS細胞も、使う細胞については生まれてきていないし、倫理観問題あるのかな?みたいな。

 

うーん。命に対してどこからを「人」としてしっかりと扱うのかわかりませんね。

なんか絶対的な定義を決めたほうがいい気がする。

あるのかな。妊娠何週目の命までとか。

それも1週目と38週目の命の価値はどう違うのかってとこありますけどね。

 

しかし人間、「子供」として扱うものはたくさんありますよね。

部下のことを子供のようにとか、年が離れた兄弟も弟というより、子供のようだみたいな。

それはその人の解釈なので、どうこういうつもりはないのですが。

 

例えば創作する人は、自分の作品を「子供」と呼ぶことがあります。比喩として。

 

今日一番したかったのはこの話で。

 

このニュースを流すとき、民放各社のワイドショーはBGMとしてファンモンの曲を流しました。

 

ちなみにNHKのニュースはほぼBGMを流しません。

映像バックにアナウンサーが原稿読みをしている時に聞こえてくるのはスタジオの環境音だけです。

 

民放のニュースは、

白いご飯をふりかけなしでは食べれない人のように、

ラーメンに何かしらの調味料を入れないと気がすまない人のように、

アナウンサーの原稿読みバックで音楽を入れます。

 

そこで使うファンモンの曲に悪意がありすぎる。

引っ張ってくるところが。

もちろん制作側がどこを使うか考えて使っているし。

その方程式は、

 

ファンキー加藤の歌っている写真(何回かアップしてフェード)+ファンモンの曲(ここ使ったわいセンスあるやろ的な部分)+曲のテロップ(特に歌詞に注目してね!の意。)=「一人を取り上げてみんな(数万人を超える視聴者とその周辺)で叩こう!」エモーション喚起

 

と考えています。

 

率直なことをいうと、もうやめてほしい。

確かにこの方程式は村社会日本のマスコミ解を説くときの最強方程式です。

この公式にX=叩く人を入れれば絶対に答えが出る。

 

でも作った子供に罪がないように、我が子のように苦しんで創作した曲にも罪はないはず。

ゲスもしかり。「両成敗」とか、「ロマンスがありあまる」とか、「少し贅沢をしすぎた」とか。

 

こんな曲を作る人間なんだから、こういう人間なんです。

こんな子供を作る親なんだから、こういう人間なんです。

 

 

ほんとに?って感じがする。

もうネットもテレビも、ひとつの事象に対して両極端すぎる。

 

叩け、叩け、叩け!

 

潰せ、潰せ、潰せ!

 

もうそれせめてエンタメでやるのはやめない?と思う。

政治でもやめてほしいけど。

 

ファンモンは個人的には有名になってからそんな好きな曲はないのですが、

日テレに出始めた時とか。一曲だけ好きな曲があって。

 

そのまんま東へ』という曲。

 

ファンモンのジャケットは芸能人有名人の顔というのは有名ですが、

 

1stシングルは『恋の片道切符』で山田花子

2ndシングルは『そのまんま東』でそのまんま東

3rdからは忘れたのでググってください。

 

まあとにかくそのジャケットから何を感じたかというと。

 

絶対的に2ndシングルまでの二人って芸能界的に見たら、というか少なくともぼくから見たら弱者だった。ただのイメージでしかないし、二人のことはテレビでしか知らない程度なんだけど。

 

そのまんま東が離婚したとか政治家目指したとか、

山田花子が歌が下手でブサイクキャラで全然モテへんとか、なんかその程度。

 

実情はどうでもいいんだけど、

 

だからファンモンのあのころの曲って響いてた気がした。

 

弱い人のための曲。ダメなとこに落ち込むな、頑張れと素直に歌ってくれていたから。

 

それから比較的結構すぐにメジャーになって、日テレが買って、

ジャケットも羽鳥さんとかさんまになって。

羽鳥さんもさんまも全く嫌いではない、というか好きなんですけど。

 

でも、そこまでビッグな人をジャケットにする必要はなかった。

羽鳥さんの曲が世の中のお父さん代表として歌った曲であったとしても、

ほぼ国民的アーティストになって日本国民ほぼほぼに勇気を確かにくれたとしても。

 

まあこれがよくある、メジャーになったあのアーティスト、インディーズの時が一番好きでした話なんですか。あるあるですね。

 

だからもしいま僕がファンキー加藤に何を言いたいかというと、

 

弱者であることを思い出してほしい。

 

そしてこれからも弱者であってほしい。

 

だからこそ弱者の気持ちがわかって、あの名曲を生むことができたのだと思うから。

 

人はなにかどこかで強くなった、自分が成長したと思うと、弱さを隠したがる。

 

まず自分に嘘をつく。

 

強くなったはずの自分に弱いところが出てくるのがこわいから。

 

そのあと人に嘘をつく。

 

弱いふりを適当に見せて実は自分は強いと見せたくなるから。

 

そうすると忘れる。

 

自分が弱者であることを。

 

あんな弱者だった自分が懐かしい、もうこれからあんなことは怒らないと錯覚する。

 

でもそんなことはなくて、それからも自分が弱者であるシーンなんていくらでもある。

 

人生の最後は絶対的に弱者として死ぬわけなので。多分。

 

そしてまた弱者として、弱者を励ます曲を産んで欲しい。

 

そんな曲が渋谷のセンター街で聞こえたら、MyHitsとして認知したいです。

 


FUNKY MONKEY BABYS 「そのまんま東へ」

 

 

そのまんま東へ

そのまんま東へ

 

 

 

 

 

『世界はボクのもの』に2016年のマンガ大賞あげちゃう。

 

最近いいマンガある?と聞かれても、うーん…だった僕。

まあジャンプは毎週読んでるけど、『鬼滅の刃』とか個人的な好みだし、超暗い感じで王道ジャンプじゃないしなぁとか思ってジャンプ読者にしか勧められなかったしなあ。とか。

 

そんななか、最近結構誰にでも勧めたい、読んでもらいたいマンガに出会いました!

 

それは、

 

『世界はボクのもの』

作品詳細『世界はボクのもの』 | ビッグコミックスピリッツ公式サイト -スピネット-

 

世界はボクのもの 1 (ビッグコミックス)

世界はボクのもの 1 (ビッグコミックス)

 

 

デトロイト・メタル・シティ』、『みんな!エスパーだよ!』で知られる若杉公徳先生の最新作。

 

まずはあらすじ。

 

主人公、砂原世界はアイドル「マジかよ少女隊」を愛するアイドルオタク。

ある日、マジかよ少女隊の中の推しメンが通っているという噂のボクシングジムに通うことになる。

そこでトレーナーの女の子に繰り出すのは脇もしめていないひょろひょろのパンチ。

しかしそこでマジかよ少女隊の音楽がかかり、アイドルに会えるかも!という興奮で力強いパンチを急に繰り出す。最終的にはトレーナーの女の子が構えるミットが吹っ飛ぶ。

 

というのが第一話まで。

ざっくりですが。

 

ここでのサスペンスに注目。

いままでありがちだった、ステレオタイプの展開から考えてみましょう。

 

①弱いオタクがボクシングを通じてめっちゃ強くなる。→好きな子ができてその子と関係のある男をボクシングで倒す。

②弱いオタクには潜在的なボクシングの才能が隠されていて、その才能を開花する。

 

この二択ですよね。

 

違うんです。

 

オタク=弱いという超記号的なステレオタイプ展開でもなく、

ボクシングやってみたら強くなったという少年ジャンプ的なセカイ系の王道マンガでもなく。

 

世界がこれからボクシングとどう向き合っていくか。

 

これがこの物語のテーマになりながら物語は進行していきます。

 

まあ一つだけネタバレしてしまうと、世界はボクシングめっちゃ強いんです。

これはググッてあらすじ読めば出てくるんでいいと思うんですけど。

 

それをネタバレした状態でも、この作品は面白い。

なぜなら、強いことが2話まで読めば誰でもわかると思うんですけど、

「実はめっちゃ強いんでしょ?」という前情報が読者にとってわかっていても、

物語をめっちゃニヤニヤしながら読める。

 

因みに世界はボクシングをする気はまったくなく、実家のボクシングジムのおばあちゃんに小さいころ超スパルタ教育をされてきたっていう設定なんですけど。

 

だから面白いのは、世界にボクシングをさせて世界チャンピオンになってほしい人とか出てくるわけですよ。あと、その実力を見せていく中で、相手になったボクサーなど、(めっちゃボコられるんですけど)ライバルが勝手に増えていく。

悟空が強い奴と戦いてえ!と言って、ピッコロ、ベジータと出会うのではなく、

スタンド使いは惹かれ合う的な感じなのか、世界は戦いたくないけどライバルが増えていく。

しかもみんなサイヤジンかよと言わんばかりに好戦的。

 

そして家族、オタク友達、アイドル目当てに行ったジムの会長など様々な人がうずまきあい、世界が成長していく話です。

 

これは主人公が世界チャンピオンを目指す話でも、因縁の相手をボクシングで倒す話でも何でもなく、

いわばホームドラマコメディです。

もう、何も考えずに読めちゃう。何も考えずに笑えちゃう。

 

とても素敵なマンガです。

かといって、日常系のほほんではなく、ストーリーごとに世界にとって乗り越えなきゃいけない壁、というかミッションが提示される。

 

もうほんとおすすめです。

あと大塚という街に行ったことのある人は、「あ、あそこだ!」ってなるかも。

世界の実家のボクシングジムのモデルは、大塚の角海老ボクシングジムですからね。

もう、まんまそのものです。

 

ここね。

otsukatimes.com

 

そんなどこにでもいそうな少年の、ちょっと稀有な悩み、能力をテーマにしてマンガを描くのが若杉先生の巧みさ。

 

実写化、するんでしょうね!

これはデトロイトよりエスパーより万人受けして良さそうなコンテンツです。

そして大塚角海老ボクシングジムで是非ロケをしてほしいです。

 

今後の展開も楽しみな一作!

まずはこのマンガがすごい!か、マンガ大賞ノミネートしてほしい!

 

 

週刊連載派、単行本出てから派 の弊害

今週のジャンププラスのドラゴンボールを読んで欲しい。

第81話かな。

その一話前、80話では、亀ハウスからドラゴンボールを持って逃げるブルー将軍を悟空が筋斗雲で追うところで終わっている。

第81話はペンギン村から話が始まる。

 

初見、週刊連載派で読んでいた読者は、「あれ?Dr.SLUMP!?」と思っただろう。

その感動は計り知れないと推測できる。

 

僕は残念ながら6歳の頃、アラレちゃんを知らない時に単行本で一気読みをしてしまったのでその感動はなかった。二つの漫画の作者が鳥山明なんだーくらいの認識で、ドラゴンボールを読み終わってから『Dr.SLUMP』を読んでしまった。そのあと15になるまでドラゴンボールは何回読み返したかわからないと思う。

 

しかし何回も読み返した、ということは自慢でも優越でもなんでもなく、

学習で言えば九九を覚えるのと同じくらいのレベルかなと考えている。

ドラゴンボール詳しい、スラムダンク詳しい、台詞言えるなんてことは

金子みすゞの詩をソラで言えるのと同じレベルである。

それくらいドラゴンボール、スポーツならスラムダンクは平成日本文学の古典のようなものだと思う。

だからこの両作好きで知識レベルをひけらかしてくる30代は反省してほしい。

 

さて話を戻そう。

ドラゴンボールの第81話で僕がどくに感動したかというと、

久しぶりのDr.SLUMP面々から、アラレちゃんが空を見上げて、「ほよ?」と言って次ページ。

そこには『DRAGONBALL』のタイトルロゴと追われるブルー将軍と追う悟空。

 

週刊連載は読者はここで初めて、「あ、アラレちゃん出てきたけどドラゴンボールなんだ」と物語に引き戻される。

 

この、「ほよ?」→『DRAGONBALL』のページ遷移に僕は感動した。

ジャンププラスは1ページずつ漫画を読むことができるのだが、鳥山先生はこのスマホならではの漫画の読み方を予測していたのかと思うくらい、フリックからのタイトルロゴ「追ってペンギン村」がハマる。

 

超ハマる。

 

そして、『DRAGONBALL』×『Dr.SLUMP』の当時ジャンプで最強タイアップストーリーが始まる。

 

ジャンププラスはすぐアプリをダウンロードできてドラゴンボールに関しては無課金なので一度読んだことのある人でも是非読んで欲しい。

 

この仕組み、単行本では気付けない感動だった。

最初に推測したとおり、リアルタイムジャンプ読者はこのページ遷移にさぞ感動しただろう。

ぼくはわからなかった。単行本派だったから。

でもそれを再び単行本から週刊連載という形に再編集し、このページ遷移のかっこよさ、そして『DRAGONBALL』×『Dr.SLUMP』コラボのワクワク感を提供してくれたジャンププラスに感謝したい。

スマホでのマンガ購読、演出として大変期待ができる。

 

その技術よりも先にこの技術で感動できる演出を行った鳥山先生はやはりとんでもない天才である。

 

ドラゴンボール (巻7) (ジャンプ・コミックス)

ドラゴンボール (巻7) (ジャンプ・コミックス)