ゲタバコ.

下駄箱とは、靴などの履物を収納するための家具。 銭湯など大衆が集う場所では「下足番」と呼ばれる履物の管理人を置くことがある。 ゲタバコとは、映画などのコンテンツを紹介するためのサイト。 インターネット上など大衆が集う場所で「下足番」と呼ばれるブログの管理人が置かれている。

なぜBLEACHにわくわくしなくなったのか。 週間ジャンプ批評 ジャンプ誌上最強芸術マンガ BLEACH について

 

 

 

約10年前に発売された、ドラゴンボールの設定集のような本、

Dragonball landmark に当時のジャンプ連載陣の先生方から一人2ページで各々思い入れのあるキャラクターとともにドラゴンボールのへの想いが寄せられました。

そこで覚えているのは、BLEACHでおなじみの久保帯人先生のもの。

 

桃白白が怖かった。ドラゴンボールの敵は毎回怖くて強そうでどうやって倒すのだろうと思う

 

みたいな旨のコメントでした。記憶を辿って書いているので、一字一句は合っていません。

 

まあしかしですよ。最近のBLEACHは敵が強すぎる。本当に。

なんですか。あのユーハバッハの強さはwww

未来を視る力と説明されていたものが、今週、未来を操れる能力になっている。

 

絶望。まあ絶望でしょうけど、正直もう感情移入できないぼくとしては絶望もクソもない。

正直、「そうきたかwww」で終わってしまっている。

この先一護ないし護廷十三隊がクインシーたちをどんなふうに倒すのか、マジで興味がわかない。

しかし、毎週のジャンプを上質なディナーのフルコースとするとき、スープの残りカスを丁寧にすくって食すように、BLEACHをしっかりと読んでしまう。

しっかりと、というか気づいたら17ページ終わっていることが多い。

今週、何秒進んだ?みたいな漠然とした感想を胸に秘めながら。

いま戦況がどんなふうになっているかもわからないし、敵としてあと誰が残っているのかもわからない。

尸魂界は結局崩壊したのか。護廷十三隊のモブ隊士達は果たして生き残っている奴がいるのか。

正直覚えていない。

 

ただただ覚えているのは、毎週驚かされるそのコマ割り構図と、毎週同じ世界観で新しい映画が始まるかのようなタイトルの見せ方。だいたいの英語の意味はわからない。ただなんとなくかっこいいことを言っているような気がするような気がする。

 

僕は表面上BLEACHを批判しているのではない。

むしろ中学の時は一番好きなマンガだった。当時のジャンプで。

ワンピースはアラバスタ編が落ち着きを見せ、空島で少し停滞し、

ナルトは第二部に入って全く魅力的ではない新キャラを増やしていた段階だったので面白みがなかった。

そんな中、中二病の僕らのこころに風を吹かせたのはBLEACHだった。

現代社会を舞台にしながらも、尸魂界という未だかつてない魂の世界の広がり、

伏線に伏線を重ねながら、細かくも徐々に増えていく設定。

子供の遊び場から大人社会を覗くか覗かまいかの中間で屯している僕らの価値観に、その構造はドハマリした。

もうひとつ、声を大にして言いたいのは、斬魄刀と呼ばれる死神が持つ武器の、始解で叫ぶ言葉である。

「我が名は、斬月!」

斬魄刀の名前に何かしらの言葉を付け加えることで武器が各々のキャラクターに沿った形に変形する、

また各々の斬魄刀に能力があるという設定はまあ僕らをトリコにした。

リアルタイムならなおさらである。だいたい毎週、次は誰が始解をする、剣八始解ができない、もうしているから(これは間違いなのだが)、ルキアが死神の力を取り戻して始解して一護と共闘する(これも破面編にならないと訪れない未来なのだが)、たつきが死神化する、など、まあ斬魄刀から僕らの夢は広がった。そしてその夢の90%は久保先生によって塗り替えられ、まったく違った視点からの未来を提供される。

しかしそれもまたかっこよかった。ルキアの処刑に一護が乗り込むのも、

一護と白哉が戦う前に恋次白哉卍解を繰り出して戦うのも、黒幕愛染からの尸魂界編が終わりを迎えるのも。まあよかった。

ここまで少年読者の期待をかっこつけて裏切れるこの人は天才だと思った。

 

だけど僕は破面編から少しずつ冷めていく。

設定が多い。英語が多い。技が覚えにくい。いつのまにか僕らは一護たちと同じ、高校生になっていた。

 

井上さんやチャドがクラスにいるとは思えない。

父ちゃん、死神なの・・・?

そのリアリティと大人になる過程で、BLEACHはいつのまにか羨望のファンタジーから虚栄の幻想へと成り下がった。僕の中では。

 

中学の頃、僕らを引っ張っていたBLEACHのサスペンス的な魅力は、斬魄刀であった。

これはドラゴンボールで言えばスカウターによる戦闘力、超サイヤ人の変身による、強さであり、

ワンピースで言うところの懸賞金である。

 

敵が死神だったのがよかったのだと今になってみて思う。

破面編では半分虚、半分死神だったわけだから、英語版、またはフランス語版始解卍解だった。

いまや、そのサスペンスが、皆無である。

クインシーの誰が始解卍解に近いパワーアップを行おうが、もう、技の名前関係なく何かしらの強大な力が目覚めるだけである。それは天災にほぼ近く、チートが進みきっている。

対人ではなく、対環境への戦いである。そこらへん『トリコ』も似ている。

捕獲レベルとフルコースメニューというサスペンスは形骸化して、どちらもぼくらのモノサシを簡単に超えた。本当にあのカエルが食べれるのか…?まあ、食べれるんじゃね…?トリコならきっと・・・で、アカシアって結局敵だったの…?というレベルでしか読み進められていない。

 

少年ジャンプについて成人した大人がどうこう言うな、というご意見は大変ごもっとも。

でもやっぱ当時のジャンプを思い返してみても、今のジャンプは総合的にという点で、面白くない。

新連載、デビュー作家の作品の質はそんなに変わらない。

何が違うか。中堅どころの安定感と、人気作品の長期化である。

BLEACHが始まったばかりの頃、長期連載作品といっていいのはこち亀だけだった。

他の作品の巻数は30も超えてなかった。ワンピースも空島でやっと30巻を超える。

いまや、ワンピ、ナルト、BLEACH銀魂が50巻を超える。

人気なのはわかる。が、ドラゴンボールは単行本42巻で終わっている。

この巻数でも僕は少年ジャンプ史上最長の少年漫画だと思った。

長く続けば世界観が広がり、その分コンテンツビジネスが加速する。ファンが二次創作で作品の価値を高める。各キャラクターに寄り添い、産声を上げてからのストーリーを細かく過去編で追いながら描写できる。

申し訳ないんだけど、これはワンピース病と言ってもいいと思う。

こうした過去編を初めて取り入れてキャラクターを少年漫画で描写したのは幽☆遊☆白書であると言われている。さすが富樫である。

しかしその幽☆遊☆白書は19巻で終わっている。いちご100%と同じ巻数で終わっている。

終盤、富樫が描くことに飽きたんじゃないかなど噂されているが、あれくらいが僕はちょうどいいと思う。

確かに戸愚呂兄弟との戦いが終わってからの幽☆遊☆白書は若干読み応えがない。

でも、今の長期連載作品は、描き過ぎじゃないだろうか。

小説でよく、文中の行間を読めという表現があるが、そうしたマンガに行間がない。

つまり読者に想像させる範疇が少ない。この話は大前提として、あくまでその世界上での行間である。

二次創作やアンソロジーでよくある、違う時間軸の話ではない。(アニメ映画はしょうがないとして)

その情報を足して、開示して、読者が感動するか。わくわくするか。

もうこの一点だけで少年漫画は描かれていくべきだと思う。

いまはあまりにも、ショービジネスに一番お金を喜んで落としてくれる読者に向けて描かれているような作品が多すぎる。

人が情報に興味を持つのは、その情報の半分近くが隠されている時だそうだ。

ヤフーニュースでよくあるネット煽り文章を観てクリックしたくなるのも、そういうこと。

 

あの頃のBKEACHは、尸魂界も、斬魄刀もロクに情報が開示されていない魅力ある情報源だったからわくわくしたという懐古厨をかますとともに、ぼくと同じ考えで惰性読みをしている読者にもうひとつは期待。

 

BLEACHは、芸術である。

 

そう考えて読むと、どこか許せる。

あの頃の一護がいまこんな感じになってます。物語では三年もたってないのに…

と思いながら読むと、まあ先にページを送ることはできる。

斬月の最終形態にも興味はないし、なんならユーハバッハの倒し方にも興味はない。

ただ、あのころ僕らを夢中にした作品が、どんな最期を迎えるか。それだけがサスペンスである。

 

BLEACH  1 (ジャンプ・コミックス)

BLEACH 1 (ジャンプ・コミックス)