テレビよ
更新が滞っておりました。
もう一ヶ月前ですが、今日は先月のFNS27時間テレビについて。
オワコンと呼ばれて随分経つテレビ。
僕はテレビが大好きです。週に20番組くらいは録画して見てます。
民放キー局5局のうち、不祥事、低視聴率が続くフジテレビ。
いいともがグランドフィナーレを迎えた今、僕がこの局で見ている番組は4つです。
日曜9時~ ドラゴンボール超
日曜14時~ ザ・ノンフィクション
木曜23時~ アウト×デラックス
そして土曜20時~ めちゃイケ
局を代表する番組って何?と聞かれたら、やっぱ僕はフジと言ったらめちゃイケだと思います。
80年代に打ち出した「楽しくなければテレビじゃない」というポリシーを引き継ぎ、「え?こんなことテレビでしちゃうの!?」という予定調和じゃない面白さを様々なコーナーでお茶の間に届けてきたと感じるからです。
「え?こんなことテレビでしちゃうの!?」なんて気持ち、持たなかったかもしれない。純粋に面白かった。次の日学校に行ったら友達との話題の中心にいて、真似してネタにして楽しんでいたし、世代をこえても共通言語で話せた。そんな番組でした。
さて今はどうか。率直な感想、見ていてとても痛々しい。
笑いだけではなく、コーナーの最後に感動を与えてくれるめちゃイケ演出も全く響かない。
そんな年になってしまったと言えばそれまでですが、それにしても予定調和感が半端ない。
子供の頃に熱狂した、本気さが見えない。
これではあまりにも表面的な中傷に過ぎないので、(この後も結果そうかもしれませんが)
そんな彼らが、テレビのピンチをチャンスに変えると行って臨んだ27時間テレビを振り返りながら、
なぜ、めちゃイケは痛々しく見えるのかを考えてみました。
まずは今回の27時間テレビのメインイベントである、岡村とアーティストのコラボライブから。
50分くらいから始まります。(なんでフジテレビはこれ消さないんだろう?)
僕が最も感じたことは、佐野アナの実況がうるさいということ。
というか、これが痛々しさを感じさせる一番の元凶だと思いました。
例えば、スリラーが始まる前の実況で、
「隣にはケント モリがいる!」
と佐野アナは言いますが、
「当たり前やがな!!!」
と思ってしまうのは私だけでしょうか。
その交渉のVも見たし、このライブが始まる前、各ゲストの紹介までしているのに、ショーの最中にまだ何か言いたいのか。
途中からテレビを付けた視聴者への気遣いなのか。
実況やツッコミは矢部だけでよかった。モー娘、EXILEのときのようなスタイルでよかった。
面白いコメントひとつもしてないめちゃイケメンバー、必要か?
(モー娘のとき、岡村がスカートを履かないくだりはしつこすぎたけどわざとなのか)
もっと不親切でいいと思う。前はもっと大味だった。子供ながらにわからないネタもリアクションも、それも含めて面白かった。
それがテレビを途中から付けた人など視聴者に気を遣いすぎて、本当にしつこい味付けになってる。
味付け海苔ひとパック一気に口に流し込まれたみたい。
それだけならまだ許せても、本当に隠さなきゃいけない隠し味を、料理の本味にしてしまっている。
それは何か。
「本気」です。
岡村が不眠不休で疲れているのは知っている。
だから、1曲目から疲れはどうとか、見ているだけのお前らがしゃべるな。
なんかここ、お茶の間の視点演出だとしたら、とてもズレている気がする。
そして岡村が疲れて倒れ込む演出は一度だけでよかった。本当に口説い。
DO HONKEY (別義:白人をやれ!)
言ってることはわかる。しかしやってることは果たしてそうか。
嘘の世界なんだから本当のところ、本気じゃなくてもいい。
それは演出として視聴者に伝わればいい。
だけど、あざといヘタクソな口説い演出で、お前らから本気を売り込みに来るのは違くないか。
「テレビのピンチをチャンスに変えています」
もうこれに至っては全く意味が分からない。
今までとやっていることはそんな変わっていないと思う。フジの人、誰か説明してくれ。
ベストパフォーマーはケント モリ
素晴らしかった。マドンナとマイケルがバックダンサーとして取り合い、
その魅力をダンスの力だけで、テレビというメディアで見せつけられていたのはこの人だけだと思う。
僕が解釈する「本気」が伝わってきたのはこの人だけ。
(あと全体通してという意味では、明石家さんまと中居くん)
カガリは役回ししかできない?
確かにコラボの相手として、最初から最後までエンタメ界に君臨するメンバーを連れて来れたのは凄い力だと思う。
天然素材の復活は感動したし、SMAPのスター性はやっぱりすごい。
しかし、それにしてもフジ縛霊でポンさんが言ってたように、「型にはめたがる」のか、
カガリの演出家としての力は不足しているように思う。というか、視聴者が見たいスタイルとかけ離れている気がしてならない。
もう視聴者のことを「大衆」として見るのはやめたら?
視聴者が見てくれるものを、つまり視聴率が取れるものを、
わかりやすく、批判されないようにコンプライアンスを遵守して・・・
でも、変わったことをして、「テレビ」というメディアの面白さを見せつけたい。
ここ数年の、そんなテレビはもう飽きた。
視聴者は、もう右向け右の大衆ではないと思う。
広告効果としての視聴率だって、大多数が見たなんて指標、毎日測ったって今の時代に対応した意味のある数字なのか。
もう全く興味のない人もいれば、こんな評価に共感して忌み嫌う人、何の文脈も読まずに女優の発言だけをネットで炎上させるアスペ視聴者もいるくらいなんだから、視聴者は、操作できないメディアに従順な大衆ではなくて、不特定多数に変わった。
27時間もぶっ続けで放送するテレビに何の意味がある。
その本義であるメインイベント、岡村が本気を出して踊り続けるショーを、自らの口説い演出で痛々しく伝えてしまった「テレビ」に、いま、何の価値がある。
視聴者をバカにするのもいい加減にしろと言いたいが、視聴者はやっぱり不特定多数であっても「バカ」である。
やはり、テレビが生活空間内に存在する限り、視聴者はながら視聴をするため、テレビは受動視聴メディアなのだ。
何かを能動視聴する不特定多数。しかしそれも疲れることだと思う。
だからテレビを受動視聴する。そんな彼らにテレビが出来ることは、生活の中に「知らない!」という発見、「それわかる!」という共感の起爆剤を放り込むことではないのか。
いま、テレビが仮に本気であろうと、ピンチを感じていようと、自らチャンスに変えたと豪語していても、
僕ら視聴者には何のメリットもデメリットもない。
僕らが求めているのって、思いがけず、テレビに教えてもらった、明日誰かと話せる話題なんじゃないのか。
だってイモトがエベレスト登頂したほうが話題にしやすいじゃん。
吉村がBMWをぶっこわしたって、大久保さんがワープしてたって、タンポポがバンジー失敗したって、そんな安いネットニュースにしかならないネガティブな話題はどうでもいい。
テレビよ、心から「あれ面白かった!」と友達と話せる番組を放送してくれ。