第8回AKB総選挙 優勝は24万票の圧勝で指原 しかし一番注目すべきは第7位 須田亜香里
第8回AKB48総選挙の結果が出ました。
新潟には15億円の経済効果があったとか。
この20年間位で裏日本の何もない街がここまで盛り上がるの日はないんじゃないかなぁ。
さて。1位は2年連続第3回で指原。24万票という大差で圧勝。
ファン一人あたり何票入れているのかわからないけど、まあここまでの差をつけての一位だから
これを大衆のマジョリティーとして捉えてもいいのでしょう。
AKB48というアイドルグループにおいて一番求められているのはめっちゃかわいいアイドルではなく、
歌唱力やライブパフォーマンスが高いアイドルではなく、バラエティなど企画で一番人を楽しませられる等身大のアイドルなのでしょう。
この結果について、ぼくはすごくうれしかった。
本人も「叩けばほこりしか出てこない」
「いままでの歴代第一位とも違う」
と言っていたけど、この自己受容している感じがすごくいい。
紛れも無い、等身大の言葉です。
そういう人が衰退期のアイドルグループで評価される、
それはこの国にも当てはまるんじゃないかなあと思うんですよね。
顕在能力でこいつすげー!という人より、
日米通算で最多数安打を記録した野球選手や、
都知事候補に名前が上がっても謙虚にマスコミに出るのは最後と誠実に答える
国民的アイドルグループの一人の父親官僚とか。
そんな中、今年の第5位は須田亜香里。
一昨年、10位以内にランクインした時は、素で「この子誰!?」と思いました。
全然アイドルっぽい可愛さはないし。SKEってW松井なんじゃないの?と思っていたので。
昨年18位になって、ああ一時のやつだったのかと思ったんですが、
今年の5位はすごい。
順位を呼ばれたメンバーがそれぞれ演説をしますが、
今年はこの子の演説が一番心に響きました。
「結果が全てだと思っていたので、結果で手に入れたものは全て結果で失ってしまう。」
「それでも結果ではなくて、その過程にある人の気持が大切だということに気がついた。」
これを言える20代ってどれくらいいるのかなと思いました。
ぼくは2010年だけAKBファンだったので、今はメンバーの名前もろくに言えないくらいのハイパーにわかファン?というかもうファンとも言えないのですが。
なぜこの子が7位に?でもなんか理由があるはず。
と思わせてくれるほどの刺さった言葉。
今年注目するならこの子にしよう。そう思わせてくれました。
ということは、ストーリーを作る力がすごく強いんです。
いま、エンタメにかかわらずモノやサービスをリピートして使う消費者の動機は、
「ストーリー消費」だといいます。
シャッター商店街で一番最後までシャッターが開いているのはスナックだと。
スナックの客はママとの話、つまりストーリーを求めているからサービスの質にかかわらず、
(つまみが乾き物であっても、よほどのいい酒が出てこなくても)
客が減らない。そこで客が求めているのは酒でもつまみでもなく、ストーリー。
今年の須田亜香里は、衰退期、もしくは成熟期後半に入ったAKBグループに、ひとつのストーリー消費のきっかけをもたらしたメンバーだと思いました。
正直この三人については、もうストーリーのクライマックスを観てしまった気がする。
つまりこの三人のアイドルとしての未来ってあまり気にならない。
でも、須田亜香里のストーリーは超気になる。
ここまでの歴史という名のストーリーも気になる。
だから、まだAKB48というコンテンツを消費したいと思い、
ストーリー消費という形でファンがコンテンツの価値を高め、グループの未来を作る。
この構造がAKBがすでに国民的アイドルグループではなくても、総選挙が注目され、続いている理由。
コンテンツ消費者はみな、ドラマが見たいんです。
生放送という編集ほぼなしの純正な状態で、不確実ながらもリアリティあふれる環境で、
推しメンないしグループのメンバーにドラマが見たい。
まだ、AKBにはそのドラマを見せる力があると思いました。
テレビどこにでもAKB、イベントどこにでもAKB、被災地どこにでもAKB、オリコンチャートほとんどAKB。
それがこの日本では何年も続いているからこそ、それはもう慣れてしまった記号のようなもので飽きてしまっているけど、記号ではなくストーリーでそれぞれのメンバーを見ていきたい。
何年か振りにそんなことを思いましたね。
生放送されたマエアツの卒業公演はサークルの引退式とか卒コンみたいだなと思ったし、
マエアツが卒業した時点でAKBって一番楽しい時終わったなあとか思っていたけど、
これからの日本を象徴するのか投影するのかという視点で、衰退期のグループがどうなっていくのか見てみたい。
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舛添都知事辞表提出について思う嘘の壁
舛添都知事がついに辞表を提出しましたね。
もっと早く出せ、またすぐ辞めるのかなど、ネットでは舛添都知事について書き連ねられていますが。
僕はこの人に対して思うことはほとんどなくて。
やめるんだーくらいの感じです。お疲れ様でした。
まあ唯一あるとしたら、
先日芸能人はだれに謝っているのかという記事を書きましたが、
まあファンキー加藤とかベッキーが謝罪を重ねている中、真っ先に謝ったほうがいいんじゃね?と思った人はこの人ですね。
本人としては、謝罪の姿勢を見せていたみたいですが。
「今後改めていく」とか、なんかそんな感じで。
議会は追求するわけですね。事実関係を明らかにしろとか。
それにしても事実関係という言葉好きですね。議会は。
結果、どこかの機関に精査してもらった結果、また間違いがあったりとか。
呆れるなとか、ふざけんな精査してねーじゃねーかとか、そんな怒りとか失望とかはどうでもよく。
猪瀬知事が政治資金問題でやめた時にコメンテーターとして質疑で事実関係を明確にした方がいいとかコメントしてたくせにとか。
まあそんな各々の感情はどうでもいいんですよ。
「次の都知事を選ぶ選挙で金がかかるからオリンピックまで続けさせてくれ」
とおっしゃった時はさすがに目ん玉飛び出るかと思いましたが。
問題は、
ワイドショー、報道機関は、「さあ、今後の進退はどうなるんでしょうか」で次のニュースに行っちゃうこと。
ここに問題を取り上げるだけ取り上げて、結局何だったの?叩かれて終了?という日本の報道に問題があると思っていて。
そのあと、各々教訓を視聴者に教えろと思うのは僕だけでしょうか。
例えば「あります」と言った人も、ホラッチョと叫ばれた人も、疑惑、スキャンダルで年明けてから話題になった人は皆、
嘘をついて取り上げられるだけ取り上げられたわけです。
まあつまり、このニュース、世間の流れをうけて「仕事で嘘は絶対につくな」といえる人、伝えられる教育者がどれだけいるか。
この問題の本質をはっきりと言葉で何故誰も言わないのか。
日本特有のニュースを取り上げたあとにそんな教訓的なこと言うと野暮みたいな空気を読むてきなことなのか。それを声に出して言うことで報道機関自体に何か不利益があるのか。
伝えられたことに対して感じることは視聴者が決めるべきであって、報道機関自ら伝えるべきことではないからなのか。真意はわかりませんが。
だとしたらコメンテーターの存在意義は何?と思うし、
最近ワイドナショーが始まってからネット上でまっちゃんの発言力が上がったのは、
報道内容の一歩先、教訓的なことをはっきりと言ってくれるから何じゃないかなと思いました。
それは、辛口コメンテーター、世間を切る、喝!そういうものの次元ではなくて。
これらの人々の役割は、視聴者の気持ちを代弁して、発散してあげているだけ。
伝えて、感じているだろうことを見える化して、その気持ちに同調する役割としては
マスコミュニケーションを担っているのでいいとは思うのですが、その先。
視聴者を諭し、教訓を与えてくれる人がいなさすぎる。
だからみんなその先を考えなかったり、忘れてしまってまた同じことを繰り返す。
叩かれることだけが目立ち、みな萎縮し、ミスをミスだと報告できず隠蔽する。
同じ場所でポジションだけが上がり、先天的に弱者だということを忘れ、傲慢から今回のような嘘が大前提の行動をする。
もう誰かを守る以外の嘘って法律で禁止するレベルの教育した方がいいと思うんだよなあ。
あとそれに対して叩くことが倫理的にどうかという教育も含め。
ただ、不幸話は最高の酒の肴なので、人間の本性としては誰かを叩くことって気持ちが良いものなんでしょうね。くそ嫌いな教師に対して僕も中学の時はそう思っていたし、そういう行動もしたのですが、まあ、飽きましたよね。
というか、何も生まない。
あと思うのは、人を除いて、この世で一番有限で重要な資源は間違いなく時間です。
これは全員に対して機会的に平等だし、(実質的には生まれた瞬間から不平等ですが。)
非生産的なことに費やすことがどれだけもったいないか。
まあこのブログを書いていても思いますよw
だからせめてお土産として、「仕事で嘘をつくこと」の悪を考えてほしいです。
せめて辞任したことで嘘をつかない都庁に変えてほしい。
お疲れ様でした。
ついにメジャーデビューした水曜日のカンパネラ!
このブログの一発目の記事で紹介させていただいた水曜日のカンパネラがメジャーデビュー。
ヤフオクのCMに抜擢されたり、Mステに出たりとメジャーシーンを闊歩した2015年から2016年でしたが、まずこの記事を読んでぼくは超いいなと思いました。
とくにここ。
――すごく有名になりましたね。
コムアイ:うーん。まぁでも今年だけだと思います。
そうなんです。多分、今年だけなんです。
でもそれでいい。これが、音楽性の高いアーティストのこれからの売り方なんじゃないかと思うわけですよ。もう、音楽シーンで「大衆」ってほぼいなくなってるので。
具体的に強いて言うならば、音楽シーンの「大衆」は会社の二次会のカラオケで歌ってる曲についているひとです。つまり、よほど共通項のない不特定多数で盛り上がれる曲についているひと、これが大衆になるわけです。残念ながら、水曜日のカンパネラの曲で大衆で盛り上がれる曲はない。
曲が盛り上がってるイケイケドンドンの曲だとか、バラードのような曲だとかそんなことは関係なく。
そんなアーティストがほとんど意味を成さなくなったオリコンヒットチャートで何位!って指標、意味がありますかね?ある一定の目標値に対して、ライブのチケット売り上げとか、グッズとか、音楽ダウンロード数を指標にしたほうが、需要があるかどうかってわかるんじゃないかなあと思うわけですよ。
だから、水曜日のカンパネラはこのままでいい。
そして、たまーに、たまに、テレビに顔出してくれると嬉しいという感じ。
この人の曲は、PVで観て楽しむ曲、そして一人で聴いて楽しむ曲、なんです。
で、たまに知ってる人がいて盛り上がれて楽しい。みたいな。
そういう意味で、最近出てきた岡崎体育も近いんだけどそれに。
ただ岡崎体育は僕としてはちょっと惜しい。
週刊誌各誌やワイドショーはそういうの取り上げ、話題にして売上部数ないし視聴率を伸ばしたいのかもですが、もう、専門誌ないしネットでその役割は担われている気もします。
そして大衆のニーズも右向け右じゃない。
例えるなら、いままで大陸だったものが大陸移動し、複数の小島にわかれている感じです。
その小島に上陸する方法は昔だったらテレビ、週刊誌一本だったのが、そうじゃなくなってる。
テレビ→ネットという分けた言い方は好きじゃないのですが、
テレビとネットどっちも使わなくちゃだったり、ネットだけでよかったり、はたまたどちらでもなかったり。
ここは本州、四国、九州、北海道と地域を分けるようにJPOP、邦ロック、演歌、フォークなんてわけますが、もう底に関していうと分けるのは意味が無いのかなと思っていて。
このジャンルにはこの売り方!というよりも、
このグループのこの曲がいい!そしてこの人の曲はこれもこれもこれもこれも好きだからこの人のライブ行く!むしろあのアーティストもあのアーティストも集まってるロックフェス行く!
みたいな感じでいいと思うんですよね。
おばあちゃんが毎年言ってます。
「紅白観ても、もういま若い人ばっかりで誰が出てるかわかんないんだよね~」と。
ただ、これ僕が子供の頃からずっと言ってるので、賞味20年位毎年12/31になるとこの言葉を聴きます。
こんな20年音楽に対してラガードな高齢者もいるわけなので、音楽シーンに関して言うと、大衆的に、マスコミで盛り上げる音楽ってないんです。きっと。
だからそれぞれググッて好きな曲を聴けばいい。
趣味嗜好の合う人と世界を作ってシナジーを産み出せばいい。
そう思います。
水曜日のカンパネラ、これが一番好きな曲になりつつあります。
曲、というかPVを高く評価!
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